東日本大震災から7年

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から7年が経ちました。日々、震災のことが忘れられていることが問題となっている中で、私自身も思い出すためにも、ここに当時感じたことを記させていただきます。
 震災当時、私は小学6年生で卒業間近でした。3月11日の地震発生時、私は学校に居残って図工の作品を作っていました。経験したことのない揺れに、死んでしまうのではないかという不安を抱いたことを今でも覚えています。校庭へ避難した後も、福島県沖や茨城県沖で大きな地震が発生し、全く落ち着くことは出来ませんでした。また、学校から家に帰るまで、地震に関する情報は一切入って来ない状態だったため、とても不安で、首都直下地震だと予想した程でした。家に帰り、テレビをつけてはじめて、色々なことを知ることとなります。大津波が押し寄せていること、市原のコンビナートでの火災、そして地元の浦安で液状化が起きていることなど、今まで見たこともないことが一気に起こっていることを知り、とても混乱しました。その日は怖くて、1人では寝られない程でした。
3月12日、朝起きると、どのテレビ番組も報道特別番組で、被災地の状況が徐々にわかってきました。「名取市で100〜200名の遺体を確認」「南三陸町では1万人以上が安否不明」などとあり、とても怖かったです。原発についても危ない状況が続いているという情報がでて、今後どうなるのかが想像が出来ませんでした。自分の身の回りでも、スーパーやコンビニの商品がなくなったり、隣の地区では液状化により家が傾いているなど色々なことが起きました。すぐ近くの地区は甚大な被害を受けているのに、自分は普通の生活が出来ていることに申し訳なく思ったこともありました。
 それからの数日間、テレビでは報道特別番組が続き、また死者・行方不明者数が増え続けるなどの状況で、とても暗い気持ちが長い間続きました。ボランティアをして、少しでも貢献したいという気持ちもありましたが、勇気が出ずに行けないというもどかしさも感じていました。さらに原発事故の状況の悪化、計画停電の実施など思い返してみると色々なことが起こっていたのだと気付かされます。
 以上が私が7年前に感じていたことです。全く被害を受けていなくても、不安な思いをして、次に起こりうる災害への備えをしなければならないと実感したはずなのに、時間が経つにつれて忘れてしまっていました。私はそれを思い出し、経験していない子どもたちなどにも話していくことが大切だと今になって思います。皆さんには、震災関連のテレビ番組もかなり減り、思い出せる機会が少なくなっていますが、この日を機に、7年前にどう感じたのかをじっくりと思い出してみてほしいです。被災地や震災を忘れないことが、今後につながると思うからです。
 最後になりますが、犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。

きずなInternational 1年   椎名 響

きずなInternational

明治大学公認ボランティアサークル

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